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四国一周の旅

日本の城の天守のうち江戸時代以前に建築され、現在も残っている12の天守のことを現存12天守と呼びます。

戦前は20天守が現存していましたが、太平洋戦争中アメリカ軍の空襲により7つの天守を失い、失火によって1つの天守を焼失、現在12の天守となっています。

四国は比較的空襲の頻度が少なかったこともあり、それによって失われた天守はなく、現存12天守のうち4つが四国にあります。

そこでゴールデンウィークを利用して、四国へお城巡りに行ってきました。

 

東京有明から徳島沖洲港に向けてフェリーで出発します。

徳島に到着してまず訪れたのは「うだつが上がらない」の語源となった「うだつ」の街並み美馬市脇町南町、1988年重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

次は高知城、天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城なんだそうです。1727年 (享保12年)に城下町の大火で追手門以外ほとんどの建物が焼失しますが、1749年(寛延2年)に20年かけて再建、なので現存12天守の中では3番目に新しい天守です。

高知には私の弟が単身赴任で住んでいるので、地元おすすめのお店で鰹のたたきをつまみながら、数年ぶりにお酒を酌み交わしてきました。

四万十川に架かる新谷橋(芽吹手沈下橋)、四国の雄大さを感じます。

宇和島城、藤堂高虎が設計した縄張りは関ヶ原の戦い前の不穏な時代に作られたせいか、かなり実戦を意識した防御性の高い作りになっており、同じく藤堂高虎が作った今治城は逆に効率的な都市経営を重視した作りになっているのが興味深いです。

天守はなんだかかわいい感じです。

中に入ると当時の木造建築の技術が素人でもすごいと感じさせられます。

大洲城、天守は江戸時代当時の伝統工法を用い、2004年(平成16年)に復元されたものです。

両脇の櫓は江戸時代のものですが天守は老朽化と構造上の欠陥のため1888年(明治21年)に解体されたそうです。

復元といっても当時の技術を忠実に再現しているため、逆にその時代の人たちが見たであろう光景を体感できるところが素晴らしいです。

展示してあった天守比較図、こうして見ると江戸城がいかに巨大だったかがよく解ります、江戸城復元計画というのがあるらしいのでぜひ実現して欲しいと思いました。

「しずむ夕日が立ちどまる町」伊予市双海町、とてもきれいな海でした。

松山城、1784年(天明4年)に天守を含む本壇の主な建物が落雷により焼失、1854年(安政元年)にようやく天守など本丸本壇の建物を再建します。そのため現存12天守の中では最も新しい天守となっています。

しかし昭和8年の松山城放火事件によって天守の周りにあった小天守や櫓が焼失。松山市の消防隊ほか警官隊、青年団、在郷軍人会、松山連隊などが総出で消火にあたり、なんとか天守だけは類焼を免れたようです。 その後焼失した建物を復元し現在の形になっていますが、忠実に再現されているためどこが復元なのか分かりません。いかに松山城が松山市民に愛され大切にされているかが分かります。

今治城、1980年(昭和55年)に建てられた5層6階の鉄筋コンクリート製の天守。

戦後から平成の初めにかけて多く建築された鉄筋コンクリートの模擬天守は中に入ると残念な感じになります、外観も忠実に再現しているとは言い難いのですが、この今治城は遠目から見ると広いお堀のせいか優雅な佇まいです。

丸亀城、手前が大手門で奥に天守が見えます。大手門と天守の両方が現存しているのは、この丸亀城と弘前城と高知城だけなんだそうです。

丸亀には新卒時代にお世話になった歯科医院のスタッフさんが住んでいるので、ご家族も一緒におすすめのイタリアンで楽しく食事をしてきました。

こちらの天守もかわいい系ですね。

フェリーで帰宅の途につきました。四国はとてもいいところで他にも行きたいところがたくさんあったので、ぜひまたの機会に訪れたいと思います。