東京都庭園美術館へ
以前から一度訪れてみたかった港区白金台にある東京都庭園美術館に行ってみました、何度か行こうとしたのですが改装中だったり、休館日だったりでようやく今回初めての訪問です。
朝香宮鳩彦王は1914年(大正3年)陸軍大学校を卒業し、1922年(大正11年)フランスに留学します、ところが共に留学していた北白川宮成久王の運転する自動車が交通事故を起こし、同乗していた鳩彦王は重傷を負います。
朝香宮鳩彦王と北白川宮成久王はともに1887年生まれの同い年、学習院では同級生、ともに陸軍士官学校、陸軍大学校へと進みます。結婚相手はともに明治天皇皇女(允子内親王、房子内親王)、さらに現在グランドプリンスホテル高輪がある敷地に共に居を構えお互いの家を行き来する仲だったそうです。
1923年(大正12年)北白川宮成久王はパリからノルマンディー海岸の避暑地ドーヴィルまで泊りがけのドライブに行くことを計画、鳩彦王を誘い房子妃とフランス人運転手と共にドライブに出発します。
途中エヴルーで昼食をとったあと成久王がハンドルを握り(もしかしたらお酒を飲んでいたのか)ペリエ・ラ・カンパーニュ近くで前の車を追い抜こうとした際、スピードの出し過ぎで道路を飛び出し路傍にあったアカシアの大木に激突。
この事故で運転していた成久王と助手席にいたフランス人運転手は即死、同乗していた房子妃と鳩彦王も重傷を負います。
東京にいた允子妃は急遽パリに向かい、その後、夫の静養のため2年間パリに滞在します、そこで当時流行していたアール・デコへの造詣を深め、日本帰国後にアール・デコ仕様の新邸を白金台に建設することを計画します。
フランス語が堪能な允子妃は夜遅くまでラパンから送られてくる手紙や資料を翻訳したり自らデザインをしたりと奮闘しますが、竣工からわずか半年後の1933年(昭和8年)に腎臓病のため42歳の若さで急逝します。
さらに悲しいことは続き太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)には、次男の正彦王がクェゼリン島の戦いで玉砕戦死します。
建物自体が一つの芸術作品といっても過言ではないくらいの絢爛豪華な素晴らしい邸宅とそこに関わった方々の物悲しいストーリーを重ね合わせるととても感慨深いです。
こうした歴史的にも美術的にも貴重な遺産は大切に保存し、後世に残していき、そして一人でも多くの人に鑑賞してもらえたらいいなと思います。
東京都庭園美術館
休館日:毎月第2・第4水曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)、年末年始
〒108-0071
東京都港区白金台5-21-9
電話 03-3443-0201(代表)
10:00-18:00
FAX 03-3443-3228
www.teien-art-museum.ne.jp/