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東京都庭園美術館へ

以前から一度訪れてみたかった港区白金台にある東京都庭園美術館に行ってみました、何度か行こうとしたのですが改装中だったり、休館日だったりでようやく今回初めての訪問です。

 

 

アールデコ様式の粋を尽くした瀟洒な建物、旧朝香宮邸1933年(昭和8年)に竣工。

 

 

アール・デコとは19世紀末から20世紀初頭にかけて、欧州で流行した有機的形態のアール・ヌーヴォーに対し、幾何学的な要素を取り込んだデザインを指します。

 

 

アールデコは一歩間違うと野暮ったく悪趣味になりがちですが、朝香宮ご夫妻、アンリ・ラパンやルネ・ラリックをはじめとする日仏のデザイナー、技師、職人が総力を挙げて手掛けた内装はとても洗練された豪華さを誇っています。

 

 

アールデコ様式の個人住宅は世界中に存在しますが、旧朝香宮邸は特に質が高く保全状態が良いため、2015年に国の重要文化財に指定されました。

 

 

ラパンがデザインした白磁の塔は上部の照明部分に香水を施し、照明の熱で香りを漂わせたことから「香水塔」と呼ばれたそうです、なんとも優雅な話ですね。

 

 

壁面、照明器具、扉を装飾するガラス、ラジエーターグリルなど、至るところにこだわりが見られます。

 

 

細部の至る所まですべてがとても美しく、いつまで経っても飽きません。

 

 

 

朝香宮鳩彦王は1914年(大正3年)陸軍大学校を卒業し、1922年(大正11年)フランスに留学します、ところが共に留学していた北白川宮成久王の運転する自動車が交通事故を起こし、同乗していた鳩彦王は重傷を負います。

朝香宮鳩彦王と北白川宮成久王はともに1887年生まれの同い年、学習院では同級生、ともに陸軍士官学校、陸軍大学校へと進みます。結婚相手はともに明治天皇皇女(允子内親王、房子内親王)、さらに現在グランドプリンスホテル高輪がある敷地に共に居を構えお互いの家を行き来する仲だったそうです。

1923年(大正12年)北白川宮成久王はパリからノルマンディー海岸の避暑地ドーヴィルまで泊りがけのドライブに行くことを計画、鳩彦王を誘い房子妃とフランス人運転手と共にドライブに出発します。

途中エヴルーで昼食をとったあと成久王がハンドルを握り(もしかしたらお酒を飲んでいたのか)ペリエ・ラ・カンパーニュ近くで前の車を追い抜こうとした際、スピードの出し過ぎで道路を飛び出し路傍にあったアカシアの大木に激突。

この事故で運転していた成久王と助手席にいたフランス人運転手は即死、同乗していた房子妃と鳩彦王も重傷を負います。

東京にいた允子妃は急遽パリに向かい、その後、夫の静養のため2年間パリに滞在します、そこで当時流行していたアール・デコへの造詣を深め、日本帰国後にアール・デコ仕様の新邸を白金台に建設することを計画します。

フランス語が堪能な允子妃は夜遅くまでラパンから送られてくる手紙や資料を翻訳したり自らデザインをしたりと奮闘しますが、竣工からわずか半年後の1933年(昭和8年)に腎臓病のため42歳の若さで急逝します。
さらに悲しいことは続き太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)には、次男の正彦王がクェゼリン島の戦いで玉砕戦死します。

 

 

大正末・昭和初期の陸軍青年将校の間では瀟洒な軍服を仕立てることが大流行、鳩彦王はそれ以前から既に派手な軍装品を誂えていたそうで、今で言うファションリーダー的存在だったのかもしれません。


 

 

ちなみに北白川宮家は3代続いて当主が若くして不慮の死を遂げ「悲劇の宮家」と言われています。写真は不時着した飛行機に巻き込まれ30歳の若さで亡くなられた北白川宮永久王と昨年の2015年に亡くなられてニュースになった徳川祥子妃。

 

 

建物自体が一つの芸術作品といっても過言ではないくらいの絢爛豪華な素晴らしい邸宅とそこに関わった方々の物悲しいストーリーを重ね合わせるととても感慨深いです。
こうした歴史的にも美術的にも貴重な遺産は大切に保存し、後世に残していき、そして一人でも多くの人に鑑賞してもらえたらいいなと思います。

 

 

東京都庭園美術館
休館日:毎月第2・第4水曜日(祝日の場合は開館、翌日休館)、年末年始

〒108-0071
東京都港区白金台5-21-9
電話 03-3443-0201(代表)
10:00-18:00
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